翌日になり、私たちは改めてゾロアの様子を見にポケモンセンターに向かった。日が高く上った昼前のことである。
目的地に辿り着くと、Nは慣れた様子で職員らしき女性に昨日野生のゾロアを連れてきたこと、そしてここに預けたことを簡単に告げた。それを隣でぼんやりと聞きながら、私は意味もなく泣きたいような気分になった。
Nと話していた職員の女性は、どこか悩むような仕草を見せた後に、一度奥の部屋へと消えてしまった。どうしたのだろうか。彼の顔を見て首を傾げると、彼は僅かに瞳を震わせ、わからないと首を振るだけだった。
3分経つか経たないか程度で女性が戻ってくる。彼女は苦笑とも泣き笑いともつかないような模造的な笑みを張り付けて言った。

「今朝、息を引き取ったそうです」

一瞬、言われていることの意味がわからなかった。え、と反射的に漏らした声は空気に磨り減りいとも簡単に輪郭を失う。恐る恐る見上げた彼の顔は、ただ人形のように感情の色を無くしていた。
そんな私を後目に、女性は淡々と「たいぶ弱っていたから」「野生だからこちらで埋葬する」「せめて主人がいたら」と言葉を並べていく。ただその現実に頭がついていかなかった。――自分が思っている以上に、ショックだったのだろうか。そっと足下に視線を落とす。あまりに呆気ない展開に、私はひどく狼狽した。ついていくことができない頭で、必死に音を拾っていく。繋ぎ合わせ、出来上がる言葉と現実に、無性に泣きたくなった。

「――そのゾロア、ボクが引き取って、弔うことはできるかい?」
「!」

女性の言葉を遮り、Nが言った。反射的に顔を上げ、私は彼と女性の表情を交互に見る。彼女は僅かに目を丸くした後に「大丈夫です」と模造的な笑みを再び浮かべた。

そこからは、私が口を挟む余裕もなかったように思える。女性は幾つか言葉を吐き出した後に再びそこから姿を消し、数分して何かを抱えて戻ってくる。――それがゾロアだと、気付くのに難くはなかった。Nはその小さな肢体を受け取り、私をどこか憐れむような目で見た。そして片手でゾロアの亡骸を抱え直し、空いている方の手で私を引く。一体どこに行くのだろう。その問いを込めて僅かに躊躇う足に、彼はひどく柔らかい声音で言葉を紡いだ。

「タワーオブヘブンだよ」
「!」
「前に何度か行ったことがあるんだ。亡くなったトモダチの冥福を祈るために」
「その子……」
「ゾロアも、其処に一緒に眠らせてあげよう。そうすれば、もう独りじゃない」

力が籠もる指先に、どうしようもない寂寥感が込み上げる。歩き出す彼に引かれるままに、私もまた歩を進めた。
死とは、果たしてこんなにも呆気ないものだっただろうか。
彼が腕に抱えたモノに、疑問とも懐疑ともつかない思いが首をもたげる。昨日までそばにあった。動いていた。笑っていた。見えていた。しかしそれは、もう二度と叶わない夢のようなものになってしまった。見えているのに動かない。話さない。笑わない。そばにいるのに、もういない。胸中に滲むように肥大する感情に、唇を噛んだ。
――もう、いないのだ。

それから街の外れまで進み、彼は木の陰に眠るように身を縮めていた真っ白なポケモンに声をかけた。青磁の瞳がこちらに向けられる。それはNの言葉に応えるように声を上げ、数度瞬きをした。

「少し、距離があるからね」
「!」
「レシラムの力を借りよう。タワーオブヘブンまで、送ってもらおう」

手を引かれ、その真っ白な背に躊躇いがちに乗る。しっかりつかまって、という彼の言葉に肩を強ばらせながら手のひらに力を込めた。





タワーオブヘブン、という建物の存在は今までにも何度か耳にしたことはある。亡くなったパートナーの冥福を祈る場所。空高く聳えるそれは、このイッシュの地では天国に1番近い。塔の最上階にある鐘は、この地に響くと同時に空高くに向かったであろう死者に思いを伝える。この地に根付いた死生観には、死後、天に昇るという考え方が基本だった。
――愛する人を喪ったなら、空を仰ぎなさい。届きもしない遠い青の向こう側には、生まれ変わったら会いに行こうと、その人はこちらを見守っている。
かつて、幼い私に祖母が言った言葉だった。
おもむろに見上げた空は、残酷なほどに青く澄み渡っている。

彼が何か言葉を発すると同時に、それは急降下した。鐘が中央に位置する最上階を冠した塔は、ただ沈黙を守って聳え立っている。

「鳴らしていこう」
「!」
「その方が、きっと喜ぶ」

彼は亡骸を抱えたまま、そっと鐘に視線を向けた。その横顔はどこまでも深い悲しみを称えているようで、しかし慈愛に満ちている。その表情に促され、私は鐘に手をかけ、打ち鳴らす。響き渡るその音は、低く体内に沈んでいった。彼の表情は変わらない。死を甘受するかのようにすら思えた。諦念とも、慣れともいえない。そんな詰まらない考えがポツリと発露した。

「Nは」
「なに」
「Nは、慣れてる、みたいだね。こういうの」
「……慣れてはいないよ。ただ、知ってるだけさ」
「……」
「それに、『死』を悪いこととは、思ってないからね」
「そう」
「『死』は言わば新しい旅立ちだ。その人にとっての世界を回りきって、次の新しい場所を巡る出発点なんだよ。置いて行かれてしまうことは、確かに寂しいかもしれないけれど。でも、置いて行かれたボクたちもまた、いつか同じ出発点に立つ。何も、絶望することじゃないんだよ」
「……」

遠くを見詰める横顔を、私は息を潜めて見詰めた。しかし不意にその灰青色の瞳はこちらに向けられる。寂れた海を思わせる静かな色に、私は呼吸を細くした。僅かな動揺を誤魔化すように、喉でつっかえる言葉を吐き出した。

「ゾロアの、埋葬が終わったら帰るんでしょ」
「……」
「私の、責任だから、だから、いいよ。あとは私がやるから」
「ボクには」
「?」
「ボクには、帰る場所なんてないんだよ」

だから、と続けられる言葉は風にかき消されて霧散した。
――償いの、つもりなのだろうか。
自分が奪ってしまったから、帰る場所がないから、償いの為に、少しでも責任を取るために。そんなことの為に。
ふと、彼は階段の方へ視線を向ける。そこには手を繋いだ親子が花を抱えて最後の一段を上る姿があった。
彼は再び私に手を伸ばし、指を絡めてくる。その横顔は依然として変わらない。私は悲しみにも似た愛しさを覚えた。その指先を握り返し、晴れ渡る空を見上げた。

「だって、幸せそうだから」

呟きは空間に溶けるように消えていく。幸せそうな親子の姿を視界に収め、私は一度だけ目を閉じた。


これが私と彼の、始まりである。





20111220

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